アングラってなにさ?
肥後さ。肥後何処さ。熊本さ!肥後って熊本なのかッ!!
さて、最近アングラってどーなのよ。的な、話題をちょくちょく目にしまして、 皆様アングラカタログ界隈の流れの変化を体感的に感じ取っているのかな?と思います。 といっても狭い世界の話で、なんのこっちゃという方には申し訳ないです。
ということで自分の考察を。
まず、アングラカタログって何さ?を考えたいのですが、 基本的には主流ではない曲の集まりってことだと思います。 そして、改めて収録曲をずらーと眺めた時に、「反主流的なアングラ」と 「脱主流的なアングラ」が存在しているように感じます。 言葉を変えれば、反主流をカウンターカルチャー、 脱主流をサブカルチャーとも言えるでしょうか。 一般的に使われている「サブカル」という言葉は、 脱主流とも違う何だかヘンテコなものになっている気がするので、 所謂「サブカル」とは別ものとして考えます。 分かりやすく例えると、学校に行って窓ガラス割る奴と、 学校に行かず家にいる奴の差みたいなもんです。
アングラカタログに収録されたものの、 ご本人が違和感を感じている方をチラホラ見かけますが、 これは反主流と脱主流が混同されていることによるものだと思います。 何の気もなく家に居るだけなのに、急に窓ガラス割るタイプの人達に懐かれ、 週末バイクで向かいに来られたらそりゃー困ります。
で、それを含めて、アングラカタログがどーやって存在しているのかを考えます。
まず、反主流はあくまでも主流があっての流れですので、 ポストモダン的なアレで、存続自体が危ういです。 主流が存在しない世界では反主流も存在し得ません。
逆に脱主流は、流れを気にしていない人達ですので 個々の存在に問題ありませんが、まとまった流れには成り得ません。 脱主流をまとめるという事自体に無理があるように思います。 何の気なく家に居る人たちは、アングラというコミュニティーを形成する必要性も感じませんし。
これは作り手側だけでなく、聞き手側にも同じ事が言え、 反主流という感覚がいつまでも存在しえるか怪しいですし、 脱主流の方はそれが大きな流れか小さな流れか気にしないので、アングラを必要としません。
ここ100年ぐらいの音楽文化は、カウンターカルチャーとして発生したものが 主流に成り代わるという分岐の仕方をしてきましたが、 これからはそーゆー時代ではないのかもしれません。 アンダーグラウンドというものも存在しなくなるんだと思います。
そして、そんな危うい状態の中でアングラカタログという現象が発生し機能しているのは、 脱主流に憧れつつも社会性を捨てきれず、 中途半端に流れにコミットしている人達が沢山いるからだと思います。 反社会的にも脱社会的にもなりきれない人達です。自分もそれに重なり合います。 先ほど少し触れた「サブカル」が変な状態というのも、 これに近いんじゃないかなと思います。 その中途半端さが肌に合う方と合わない方がいますでしょうし、 アングラカタログという世界に批判的な方が居ても当然です。
自分の立場としては、 矛盾を含んでいようと、それに自覚的であればいいじゃん。といった感じです。 自己矛盾の無いよう人とは分かり合える気もしないですし。 ゆるくていいのです。ゆるいは正義です。 かわいいは正義です。苺ましまろOVA二期がくるのです。
と、アングラカタログ周りで思ったことの殴り書きでした。 せっかくの音楽を屁理屈で煮染めてしまって申し訳ないです。 乙女心見抜けないヘリクツBOYです。そしてwidth取り過ぎで、長文になると読みにくい・・・ ここまで読み続けてくれた方。本当にありがとうございました。
さて、最近アングラってどーなのよ。的な、話題をちょくちょく目にしまして、 皆様アングラカタログ界隈の流れの変化を体感的に感じ取っているのかな?と思います。 といっても狭い世界の話で、なんのこっちゃという方には申し訳ないです。
ということで自分の考察を。
まず、アングラカタログって何さ?を考えたいのですが、 基本的には主流ではない曲の集まりってことだと思います。 そして、改めて収録曲をずらーと眺めた時に、「反主流的なアングラ」と 「脱主流的なアングラ」が存在しているように感じます。 言葉を変えれば、反主流をカウンターカルチャー、 脱主流をサブカルチャーとも言えるでしょうか。 一般的に使われている「サブカル」という言葉は、 脱主流とも違う何だかヘンテコなものになっている気がするので、 所謂「サブカル」とは別ものとして考えます。 分かりやすく例えると、学校に行って窓ガラス割る奴と、 学校に行かず家にいる奴の差みたいなもんです。
アングラカタログに収録されたものの、 ご本人が違和感を感じている方をチラホラ見かけますが、 これは反主流と脱主流が混同されていることによるものだと思います。 何の気もなく家に居るだけなのに、急に窓ガラス割るタイプの人達に懐かれ、 週末バイクで向かいに来られたらそりゃー困ります。
で、それを含めて、アングラカタログがどーやって存在しているのかを考えます。
まず、反主流はあくまでも主流があっての流れですので、 ポストモダン的なアレで、存続自体が危ういです。 主流が存在しない世界では反主流も存在し得ません。
逆に脱主流は、流れを気にしていない人達ですので 個々の存在に問題ありませんが、まとまった流れには成り得ません。 脱主流をまとめるという事自体に無理があるように思います。 何の気なく家に居る人たちは、アングラというコミュニティーを形成する必要性も感じませんし。
これは作り手側だけでなく、聞き手側にも同じ事が言え、 反主流という感覚がいつまでも存在しえるか怪しいですし、 脱主流の方はそれが大きな流れか小さな流れか気にしないので、アングラを必要としません。
ここ100年ぐらいの音楽文化は、カウンターカルチャーとして発生したものが 主流に成り代わるという分岐の仕方をしてきましたが、 これからはそーゆー時代ではないのかもしれません。 アンダーグラウンドというものも存在しなくなるんだと思います。
そして、そんな危うい状態の中でアングラカタログという現象が発生し機能しているのは、 脱主流に憧れつつも社会性を捨てきれず、 中途半端に流れにコミットしている人達が沢山いるからだと思います。 反社会的にも脱社会的にもなりきれない人達です。自分もそれに重なり合います。 先ほど少し触れた「サブカル」が変な状態というのも、 これに近いんじゃないかなと思います。 その中途半端さが肌に合う方と合わない方がいますでしょうし、 アングラカタログという世界に批判的な方が居ても当然です。
自分の立場としては、 矛盾を含んでいようと、それに自覚的であればいいじゃん。といった感じです。 自己矛盾の無いよう人とは分かり合える気もしないですし。 ゆるくていいのです。ゆるいは正義です。 かわいいは正義です。苺ましまろOVA二期がくるのです。
と、アングラカタログ周りで思ったことの殴り書きでした。 せっかくの音楽を屁理屈で煮染めてしまって申し訳ないです。 乙女心見抜けないヘリクツBOYです。そしてwidth取り過ぎで、長文になると読みにくい・・・ ここまで読み続けてくれた方。本当にありがとうございました。
2008年8月11日 07:37
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